1988.3.13 青函連絡船摩周丸

1988年=昭和63年は、青函トンネル開通の年。
それと引き換えに、長い歴史を持つ青函連絡船が姿を消した。

その世紀の出来事を目の当たりにしようと、友人と3人で函館・青森へ向かった。
行きは函館から青森まで最終日の青函連絡船に乗り、帰りは青森発の青函トンネル1番列車に乗ろうという計画である。

(通常は旧の廃止の翌日から新が動き出し、新旧は並存しないものだが、
この時は特別に、3月13日は連絡船最終日かつトンネル初日という体制で運行された。)

その際の写真のピックアップが以下である。
混雑+船酔い+etc.でまともな写真はあまりないのだが…(^^;
(そのためタイトルは連絡船のみとした(^^;)
雰囲気を感じてもらえれば幸いである。

***

後に、この時の写真を何枚か「北海道ダイヤ」(JR北海道発行の時刻表)に投稿したところ、
採用されてオリジナルオレンジカードを頂いたのも良い思い出である。

1988年3月12日夜
函館行特急「北斗」で
札幌駅を出発

この時は高架化前で
地上のホームから発車
(高架化はこの年の11月)


函館に着く前に乗船名簿の用紙が配られた
深夜0時過ぎ、函館駅に到着
早速連絡船の乗り場へ向かう
船は「摩周丸」
今も函館で見ることができるのは嬉しい

(ブレ過ぎの写真だが…
船名がなんとなくわかるだろうか?)
混雑する乗船口
舞い飛ぶ紙テープ
乱舞が一段落
通路
貨車積み込み用のレール?
上写真のレールの横の建物
出航
函館の灯がだんだん遠くなる
(ブレ過ぎ(^^;)
船内にて

摩周丸のパネル
「船の現在位置」
救命胴衣

横は顔ハメ看板だろうか
撮っておかなかったのが惜しい
青函連絡船の歩み
拡大
早朝4時半
青森に着いた

生まれて初めて
北海道から外に出た

青森駅のホームをめぐる

特急「白鳥」
時刻表で名を見るだけだった
列車を実際に見て、
本州に来たんだなあと実感

(この列車に実際に
乗れたのはさらに5年後)
L特急「はつかり」

帰りは青森発の青函トンネル1番列車、7:30発の函館行快速「海峡」に乗る予定でいた。
この旅では、連絡船を含め乗る列車の指定席を事前に押さえておいたのだが、海峡だけはおそらく発売と同時に売り切れたのだろう、取れなかった。
そのため青森駅では海峡の自由席に乗るために並ばねばならなかったのだが、初めての場所でもあり、よくわからないまま待合室(後でわかったのだが、そこは連絡船の待合室だった)にのんびりとずっといて、売店で暢気にりんごキャラメルなど買ったりしていたのだが、急にこれでいいのか?と不安になり、年配の駅員さんに聞いたところそこでは全然ダメということがわかり、あわてて駅の外の、列の最後尾へ。そこに着いた時にはすでに長蛇の列。
せっかく早朝4時半に青森駅に着いていながら、この失態…。


再び青森駅ホームにて

この日限りの
「青函連絡船」の案内表示
東京まで陸続きなのだなあ…
と思った
「こけし亭」
こけしに郷土色を感じて
撮った1枚
紅白幕と
カメラマン


このあと
海峡には何とか乗れたものの
デッキのドアのそばで
函館まで立ち通し

(まあ、そのおかげで
蟹田駅ホームで
開通記念の小旗をもらえたが)
海峡の車内で撮った
わずか2枚のうちの1枚
木古内駅停車中
「木古内は北の大地の始発駅」


函館からは
接続の北斗に乗り換え
札幌へ戻った

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