築別炭鉱跡地
ちくべつたんこうあとち

<留萌管内羽幌町>


巨大なホッパー
▲写真1 巨大なホッパー
「羽幌鉱業所」の文字が見える
廃アパート
▲写真2 廃アパート
病院跡
▲写真3 病院跡
病院跡の内部
▲写真4 病院跡の内部
朽ち果てた事務所
▲写真5 朽ち果てた消防署跡
廃アパート入口
▲写真6 廃アパート入口

羽幌町は北海道・留萌管内中部の中心地である。
この町に、かつて羽幌炭鉱があった。
羽幌炭鉱は羽幌、築別、上羽幌の3つの炭鉱からなり、それぞれ炭鉱町が形成されていた。
そのうち、ここで紹介する築別炭鉱は、3つのうち最も北、日本海岸から東へ築別川の谷をさかのぼること15kmの地にあった。
炭鉱は1939年(昭和14年)操業開始、1970年(昭和45年)閉山。


<訪問記>

1998年9月13日(日曜日)晴れ
同行者:m君、M君、Kさん

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三毛別羆事件跡地を一通り見たあと、今度は築別炭鉱の跡地へ向かう。さっききた道を戻り、途中で右折、道道上羽幌羽幌停車場線(道道747号)を進む。途中、羽幌二股ダムに行ってみようと思ったが、途中から砂利道になってしまったりしたのでやめた。元のルートに戻り、道道上遠別霧立線(道道741号)へ。道の立派さとは対照的に、対向車は忘れた頃に現れるほどの少なさ。

やがて羽幌町曙に出る。左手には未開通のまま終わった国鉄名羽線の崩れた路盤、右手には廃校になった学校らしき建物。交差点で右折して緑の村の入口を過ぎると、もうすぐ築別炭鉱。巨大なホッパ(写真1)の横を通り、右カーブを曲がると、広い平地が広がる。そこは40年前、炭鉱で栄えていた町の跡。今は、高くそびえる煙突(写真16)と、草木に覆われた4階建てのアパート(写真2)が数棟、そして朽ち果てた病院と消防署の跡が残るだけ。

病院(写真3,4)に近づいてみる。窓ガラスは割れ、屋根には穴があき、床は抜けている。すごい状態だ。次に、川を挟んで反対側の消防署跡(写真5)へ。2階以上の部分は半ば朽ちて崩れ落ちているが、コンクリートの基礎部分はしっかりしていて、中に入ってみると農機具が置かれている(写真14)。驚いたことに、新しい機械だ。誰かがここを倉庫として使っているのだ。この近くには畑なんてまったくないように見えたが…。

不思議といえば、消防署跡の横にある砂利の山と「羽幌町」と書かれたブルドーザーも不思議だ(写真15)。アパートのうち一棟は、入口が開いていて、中に入っていけるようになっている(写真6)。しかし、怖いので、入らなかった。

築別炭鉱を後にして、緑の村に寄ってみると、パークゴルフをやっていた。道道築別炭砿築別停車場線(道道356号)を通って、海岸の国道232号へ。

[行き方] 国道232号で羽幌町築別へ。「緑の村」の看板が目印(※)。ここから道道築別炭砿築別停車場線(道道356号)に入り、道なりに15km進む。

※ 「緑の村」は閉鎖となり、国道232号沿いにあった看板は撤去されている。(2001.8追記)

[参考] 
 ・堀淳一『北海道 鉄道跡を紀行する』(1991年、北海道新聞社)
 ・宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩くIV』(1997年、JTB)

[その他の写真]
 ・1997年9月20日撮影の写真
 ・1998年9月13日撮影の写真(1)
 ・1998年9月13日撮影の写真(2)
 ・2001年6月24日撮影の写真

このページの写真のうち、写真1は1997年9月20日撮影、写真2〜6は1998年9月13日撮影。


※ 下記の点について、このページをご覧になった 斉 さんからご指摘・ご教示をいただき、記述を修正しました。ありがとうございました。(2001.8.15)

  1. 写真5、12、13、14、21の建物は、消防署跡。
  2. 写真16の煙突は、火力発電所跡。 

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