三毛別羆事件跡地(1)
さんけべつひぐまじけんあとち

<留萌管内苫前町>


狭い道路
▲写真1 狭い道路
あんない図
▲写真2 あんない図
開拓にまつわる史実文
▲写真3 開拓にまつわる史実文
「三毛別羆事件跡地」碑
▲写真4 「三毛別羆事件跡地」碑
小屋(物置)
▲写真5 小屋(物置)
羆
▲写真6 羆
羆の下部
▲写真7 羆の下部
「三毛別羆事件跡地」は、道道苫前小平線(道道1049号)の苫前側起点から約19km、道道の事実上の終点にある。この先は遥かに広がる原始林となっている。「事実上の」というのは、この先もかすかに道は続いているのだが、山奥の道なき道といった趣で、普通の車で入れるのはここまで、という意味合いである。
※ ↑という印象を初回訪問時に受けたが、実はこの先にも車で入っていくことはできる。ただし1車線の狭い砂利道で、数百メートル先で行き止まり。崖っぷちを急カーブで抜ける危険箇所もあるので興味本位で行かないように…。様子はこのページの写真12以降

さて、この「三毛別羆事件跡地」とは…。

明治から大正にかけての時代、北海道を開拓した人々は、原始の巨木を切り倒し、木造の小さな小屋に暮らしながら開拓の日々を過ごしていた。そんな村を、ある日突然の悲劇が襲った。

大正4年12月9日、15戸の小さな開拓集落を380kgの巨大な熊が襲った。
空腹の熊はみさかいなく人家を襲い、婦人と少年を喰い殺してしまった。
その後、通夜の席に再び熊が現れた。その場にいた人は奇跡的に助かったが、すぐその後別の人家を襲い、9人中5人を喰い殺してしまった。
後にこの熊は、熊撃ちの名人によって射殺されたが、その時空には暗雲が立ち込め、吹雪も激しくなり、この天候の変わりように人々は恐れおののき、「クマ嵐だ」と叫んだ・・・。

(苫前町役場発行「羆嵐」パンフレットより、要旨)

ここは、そんな開拓当時の悲劇を今に伝える場所である。

留萌方面からは、日本海に沿って延びる国道232号線を北上。苫前町上平(うえひら)で国道239号線に入る。この交差点には現地への案内看板がある。東へ5km、苫前町古丹別(こたんべつ)の中心部で道道苫前小平線に入る。この道路には「ベア・ロード」の愛称がつけられていて、途中ところどころに看板がある。

市街地を抜け、10kmあまり進んだ三渓(さんけい)にある三渓神社に、羆事件殉難者の慰霊碑があるのが見える。更にしばらく進み、事件跡地まであと5kmの看板を過ぎると、付近の寂しさは一層募ってくる。この先少し行くと人家は全くなくなり、現地の約2km手前では道路の舗装も途切れ砂利道になってしまう。

やがて道路の幅も狭くなり、非常に心細くなってくる。「あと800m」「あと400m」の看板だけが拠り所である。道路は車1台分の幅しかなく、ところどころに待避所が設けられている。道路の上には立ち並ぶ木々の枝が張り出し、覆い被さっている。最後の右カーブを曲がると左側に、三毛別羆事件跡地現地復元史跡が広がる。

史跡の配置(順路順・苫前町発行パンフレットより)
「開拓にまつわる史実文」(写真3)→「ひぐま事件現地碑」(写真4)→「開拓小屋」(写真6,7,8,9,10)→「開拓当時の大木」→「粉つき小屋」(写真11,12)→「ひぐまのひっかき傷」→「くまの穴」→「くまの足跡」→「開拓の鐘」(写真13右側)

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