三毛別羆事件跡地(2)
さんけべつひぐまじけんあとち

<留萌管内苫前町>


開拓小屋
▲写真8 開拓小屋
開拓小屋内部(1)
▲写真9 開拓小屋内部(1)
開拓小屋内部(2)
▲写真10 開拓小屋内部(2)
粉つき小屋
▲写真11 粉つき小屋
粉つき小屋
▲写真12 粉つき小屋
(写真11の反対側)
全景
▲写真13 全景
苫前町郷土資料館
▲写真14 苫前町郷土資料館
(苫前町中心部)
<訪問記>

1998年9月13日(日曜日)晴れ
同行者:m君(苫前出身)、M君、Kさん

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まずは、苫前町郷土資料館へ。駐車場には本州ナンバーのバイクも止まっている。この資料館の建物はもとの町役場である。入り口を入ると、まず大きな熊の剥製が出迎える。明治から大正初期の開拓時代はもと町長室で映画「羆嵐」(くまあらし)のビデオが上映されていた。本州方面かららしいライダーとおじさんが先客。映画を見終えると、棟続きの新しい建物へ。ここには特別展と銘打って「六線沢再現展」が。当時を復元した壮大な模型が展示してあった。横の「古代の里」ではお祭りをやっていた。

資料館を後にして、苫前の町から、目指す三毛別羆事件跡地に向かう。ここからは自分が運転。海岸の国道経由で行くのかと思ったら、m君のナビゲーションは内陸経由。のどかな田園地帯を行くこと数km、古丹別の町に出る。流雪溝が整備された古丹別の町を抜け、苫前厚生病院の前を過ぎるとカーブして橋を渡る。去年工事中のときにここを3度通っているが、今は完成しきれいになっている。ここを過ぎるとえんえんと続く直線道路。しだいに谷はせばまり、もう民家はないだろうなあと思うとまた谷が広がり、家が現れたりする。

行くこと15km、映画にも出てきた射止橋を渡り、とうとう最後の人家を過ぎる。電柱はなくなり、左にカーブして右手に廃屋を見、また右へのカーブを越えると、とうとう道路の舗装も途切れ、砂利道になる。去年10月に来たときはちょうど工事をしていたところだ。はじめは砂利が立派に盛られ、排水溝も整備されている。舗装間近という感じだ。少し行くとそれも途切れ、踏み固められた土が主になる。走りやすさとしてはこちらの方が上だ。川沿いに工事用のスーパーハウスがある。そのうちにこれも途切れ、少し下ると工事中で土の上に鉄の踏み板が敷いてあるところに差しかかる。ここからは道幅は車1台分になる。中央は土がかなり盛り上がっていて、底を擦りそうだと思ったらやっぱり擦った。(^^;
 
これが終わると、道は本当に山中のさびしい道になってしまう。車のタイヤが踏み固める以外の部分は草が生えている。ところどころに待避所がある。その心細い道を進むよりどころは、「あと800m」といった看板だけだ。木の枝が大きく覆い被さる道、最後の右カーブの向こうが目指す「三毛別羆事件跡地現地保存史跡」である。

びっくりしたのは、先客がいたこと。駐車場(車2台分ほどの空きスペース)にエスティマが止まっている。中年のおじさんだ。写真を撮っている。もう1台分のスペースに車を止め、降りる。さっそく見学。写真を撮り、粉つき小屋がししおどし風の仕組みになっているのにちょっとびっくり。開拓小屋の中に入る。昔の家財道具が置いてある。それにしても、質素というか、粗末と言うか、そんなつくりだ。はっきり言って、真冬にこんな粗末な家に住んでいたら間違いなく凍死しそうだ。

それにしても、今は昼間で明るいからいいが、夜になったらそれこそ本当に熊が出そうだ。m君の話によると、ここで一夜を過ごした人がいるという。大したものだと思う。置いてある記帳ノートに名前を書く。見てみると、けっこう人が訪れているのにびっくりする。それも、本州方面からも人が来ているのにびっくり。そのうちに、エスティマのおじさんが去って行った。次に、熊の穴と熊の足跡、熊のひっかき傷の3点セットを4人で見ていたら、今度はブルーのインプレッサがやってきた。札幌ナンバー、乗っているのはカップルだ。カップルでここにくるとはなぁ、と妙に感心したりする。

m君とKさんは先に車に戻ってしまったが、M君と一緒にまだ見ていない部分を見る。原寸大復元の身を乗り出した熊、下半身もあるのかと思ったら実はなく、鉄パイプで上半身を支えているだけなのだった。

さて、今まではこの道道苫前小平線はこの現地保存史跡で行き止まりになっていると思いこんでいたのだが、実は道はまだ先に続いていた。下り坂だ。車で入ってみたい気もするが、オフロードRVでもなんでもない車で踏み込んで出られなくなったら大変だ。携帯電話も通じない山中、JAFを呼ぶこともできないし、呼べたとしてもこんなところまでは来てくれないだろう。といっても今にも熊が出てもおかしくないところ、体一つで分け入っていくのも怖い。とりあえず数メートル立ち入ってみる。ここまでの道よりももっと草が生え、もっと心細い道なのだ。本当に、いつ熊が出てもおかしくない。そんなところに、カップルの乗ったインプレッサが入っていった。どこまで行くのだろうと思わずにはいられない。

史跡を後にして、2km先の舗装道路に出てまもなく、後ろからカップルのインプレッサが追いついてきた。奥に入り込んだのはいいが何もないのでまた出てきたというところだろうか。バックで出てきたんだろうか、それともあの先に転回できる場所があったんだろうか。まあ、無事に出てこれてなにより。(^^;

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写真はいずれも1998年9月13日撮影。

[行き方] 前ページに書いた通り。なお、毎年11月中旬から翌年5月中旬まで手前の約5kmの区間が冬季通行止めになるため、この間は現地を訪れることはできない。

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